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日々の感想などどうでもよいことを書き連ねるためだけのブログ。
有名人の話をする時の敬称の取り扱いというのはなかなか難しい。
特にインターネットが発達して、いわゆる一般人と有名人の間の仮想的な距離が近くなっているような現在だと特に微妙な取り扱いになっているように思います。
(インターネットの発達というより、TwitterやFacebookのような個人間のやり取りが容易なツールの発達に伴って、と言った方が良いかもしれない)

知人との会話の場合は、有名人には敬称を付けないのが一般的じゃないでしょうか。
話題の対象が年上か年下かに関わらず、歌手や俳優・タレントといった芸能人、スポーツ選手はみんなたいてい呼び捨てにしてますね。

「福山雅治さんのニューアルバム買ったよ」
とか、
「小笠原さんが移籍後初ホームラン打ったらしい」
というのを日常の会話でする事はまず無いですね。
「福山雅治の」とか「小笠原が」と呼び捨てで呼ぶ人が大多数かと思います。

何でなんだろうと考えてみると、多分相手(というか話題の対象)との距離感が狂うからなんだろうなと思います。
「さん」付けで呼ぶと、話し手にとってその有名人が不自然に近い関係であるような違和感を覚えます。とてもモヤモヤする。
呼び捨てにすることによって、話題の対象が自分とは関わりのない遠い存在である事を言外にほのめかしているような気がします。
まぁこんなのは僕だけかもしれませんが。

有名人の雑誌のインタビューとか、スポーツ選手なら試合前後のインタビューとかでは、大抵の場合は出てくる人の名前には「さん」などの敬称をつけていることが多いけど、これは話題の対象は知り合いか同業者などのある程度近しい関係にあるわけで、その点では敬称の付け方について何となく理解が出来ます。

ただここに来ると気になるのが、(特にスポーツ選手においては)外国人選手を呼ぶときは敬称が付けられない場合をよく耳にするということ。
とある野球選手のインタビューでは、年下と同期の選手は呼び捨て、年上の選手はさん付けでしたが、年上の外国人選手は敬称はつけていませんでした。
外国人の場合は日本とは敬称のルールが異なるとか、同僚や知り合いといった間柄では敬称を使わないという傾向が影響しているのかなと勝手に憶測しています。
人によるのかもしれませんが。


さて有名人の敬称付けるor付けない問題において興味深い話を聞いたのですが、それは「有名人の人名は商品名、もしくは固有名詞扱いである」ということです。
本名だったり芸名だったりペンネームだったり字面をちょっと変えてあったりはするだろうけどそう言うのもひっくるめて、商品名あるいは固有名詞として扱われているという事ですね。
個人的にはしっくりくる解釈です。

日常の会話を思い返してみると、有名人ではあるけれど呼び捨てでは呼ばれないタイプの人種もたくさんあるように思います。
ぱっと思いついたのは、例えば研究者とか、政治家あたりでしょうか。(後者は...かなり人によるが)
メディアだと肩書きを兼ねた敬称を付ける事が多いので、前者の場合は「◯◯教授」「◯◯研究員」という書き方になるでしょうか。
(最近話題の"ユニットリーダー"という肩書き兼敬称ですが、これは敬称としてはやや分かりづらいので普通に◯◯研究員という書き方で良いのではないかという気がしますが...これはまた別問題)
後者もメディア上だと、「◯◯議員」とか「◯◯大臣」とか。
「◯◯参議院議員」とかいう衆参議員の区別を付けた敬称まであって、小さい頃は何言ってるか分かんなくて混乱したものです。(サンギーンギイン???)

マスメディアでは何らかの敬称(兼肩書き)が付けられますが、この辺の立場の人に対して日常会話でどんな敬称が付けられるかというと、大抵「さん」付けであるような気がするのです。
iPS細胞の山中教授は日常会話では「山中教授が...」とは呼ばずに「山中さんが...」と呼ぶし、ニュートリノの小芝名誉教授の事も「小芝教授の...」じゃなくて「小芝さんの...」です。
政治家に関しては...私情とか思想の違いが入ると面倒なので一概には言えませんが、呼び捨て一辺倒って事は無いはずです。

有名人であってもこの辺りの違いは難しい所ですが、ここもやはりさっきの「商品名」という考え方がポイントになってくるんじゃないでしょうか。
つまり、研究者や政治家あたりの職業の人の場合は、有名人であってもその名前は商品として扱われているものでは無いが、芸能人やスポーツ選手の場合は商業・興行目的の商品としての扱いが強い、と。

日常会話においての敬称付けるor付けないの選択は、
有名人であり、その名前が重要視されるような商業・興行活動に関連している場合 --> 呼び捨て
有名人であるが、名前を使った商業活動とは言えない職業の場合 --> 敬称あり
こんな感じで何となく納得しているんですが、細かい所まで考え出すとキリが無さそうです。
(政治家だって名前売ってるじゃんとか、スポーツは全部が全部興行目的じゃないだろとか)


ここまでは、話題の対象が自分たちからかけ離れた存在であることが前提です。
福山雅治のレコーディングスタジオで会話をしているわけでもなく、ベンチで小笠原の後ろに座って会話をしているわけではもちろん無く、全く無関係の場所で無関係の人々によって行われる、本人達の耳に入るわけが無い会話です。

普段知り合いと喋っている分には言うまでもなく本人の耳に入るわけが無いのですが、冒頭に述べたようにインターネット関連ツールの発達によって、適当な会話が下手をすると本人達の耳に入る可能性がある環境になりつつあるわけです。
いや、耳に入るのではなくて目に入るんですが。

特にTwitterなんてのはアカウントに鍵でも掛けてない限り個人間のやり取りをオープンで行っているようなものですからね。
一番安全なのは鍵でも掛けて知らない人から見られないようにすることでしょうけど、そのあたりは使い方次第ですね。オープンにする方と近しい人のみにクローズドな方の2種類アカウントを持ってる人も少なくない。
本当に一番安全なのはアカウントを作らない事だという元も子もない意見もあるだろうけど、それだと話が終わるので...。

有名人のアカウントをフォローしたり、有名人のツイートに対して返信(リプライ)したり、人によってはフォローを返してくれる人もいたりして、一般人と有名人との(仮想的な)距離は短くなりつつあります。
そうなると、相手が自分たちからかけ離れた存在であるという前提がやや微妙になってくるんですね。
もちろん相互フォローしているから知り合いだ、などとボケた事を言うつもりは無いですが(こういう事言う奴がいるんだなマジで)、数クリックと少しのタイピングですぐに会話が出来てしまうような距離にいる事は確かです。

さてそういう状況で、会話に有名人(芸能人など)の名前が出て来た時の敬称はどうすればいい?
ごく普通の日常の会話なんだから呼び捨てにすれば良い?
わりと近い所に本人や関係の深い人がいるんだから敬称付けた方が良い?考え過ぎか??
こんなどうでも良いような事をたまに思ってしまうのです。



ところで敬称にもたくさん種類があって、それこそ「さん」とか「くん」とかいう日頃から多用しているものから、「様」とか「殿」とかいう書き表現専門のもの、「閣下」「猊下」などのフィクションの方がよく見るんじゃないかというものまで多種多様です。

中学生の頃を思い出してみると、同級生の男の子には「くん」、女の子には「さん」でした。
これは地域や学校によって結構異なるようで、小学生の場合は男女問わず「さん」付けで呼んでいましたし、小学校の頃から「くん」「さん」を使い分けてた人もいるようです。
もちろん先生の場合は「◯◯先生」ですね。
いや気に食わない先生を呼び捨てだなんてまさかまさか。

小学生の頃は年上の学年の人に対しては男女問わず「さん」付けで大丈夫でしたが、中学校に上がると同時に全く新しい敬称である「◯◯先輩」という概念が登場します。
中学校において、先輩という敬称の導入によってはっきりと構築される上下関係はなかなか凄まじいものがあります。
間違ってさん付けで呼んでしまった日には...
この中学校から始まる「先輩」という敬称は、中学以後高校、大学、会社と、若干の変質はありつつも脈々と受け継がれるものです。

中学1年になって、年上を◯◯先輩と呼ぶようになる違和感に頑張って慣れつつ、次の年に新1年生を迎えると今度は自分が◯◯先輩と呼ばれるようになり、また違う違和感を覚えつつもちょっとくすぐったい気分になるわけです。
もうだいぶ昔の話ですが。

あまり関係ないけれど、この敬称、
「◯◯センパイ!」
とカタカナ書きにしただけでどうしてこうも印象が異なるんでしょうか。

カタカナにするというたったこれだけの処理を施す事によって、会話の舞台は途端に夕暮れの河川敷だの放課後の体育館裏だの、心地よい風が吹き抜ける渡り廊下だの言う青春を感じさせるシチュエーションへと一変します。
そんな経験は一切していないはずなのですが。

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